こんにちは。あやさんから紹介を受けました山本大といいます。よろしくお願いします。

 はじめに、いろんな人にご迷惑をおかけしてきたことを心よりお詫び申し上げます。チームの皆さんには僕がどうしようもなくて本当に迷惑をおかけしました。また、親にはめちゃめちゃ迷惑も心配もかけました。ケガもいっぱいしましたね。特に脳震盪なんて小学生のころからくせになって、何回も頭を打っては視界のぼやけてちかちかするのをやりました。まあ、今のところ大丈夫ですね。でもきっと長生きはできないでしょうね。いろんなことを忘れてしまったりするんでしょうか。いや、もう怪しいですね。昔からよく忘れ物ばかりしています。今日この頃は練習後、着替えのパンツを忘れて、股下涼やかに自転車を漕ぐ風通しの良い日々を送っております。

 昔の話でいうと、高校のとき、練習試合なのにラグパンを忘れてしまい、誰からも貸してもらえず、結局相手チームのけが人のタッチジャッジの人からラグパンを奪い取って試合に出た、ということがありました。しかし彼のラグパンはなぜか真っ赤っかで、ひとりケツの赤いお猿さんのような状態で試合をして、たいそう恥ずかしい思いをしたことを覚えています。

 そんなこんなで、きっと近い将来ぼけてしまってあんまりものを覚えていられないでしょうから、忘れてしまっても思い出せるように、ちょっとラグビーを始めたころの話とかもしてみようと思います。本当に個人的で自己満の誰が読むんだろうというどうしようもない文章になると思いますが、ご容赦ください。

 僕はわりかし小さいころ、ラグビーをやっていたおじいちゃんの影響でラグビーを始めました。僕のおじいちゃんは「たけちゃん」と呼ばれていて、たぶん彼を知っている人はみんな「たけちゃん」と呼んでいたと思います。たけちゃんは子供が娘しかおらず、当時は女子ラグビーなんてものもきっとほとんどなかったでしょうから、運動が好きだった孫の僕にラグビーをやらせたいという望みを託したのでしょう。

 幼なじみがラグビーをやっていたことも大きかったですね。幼なじみとは別のチームでプレーしたけど、小学生の時初めて対戦した時は、トライ数18対2でぼこぼこにされたのを覚えています。せいぜい10分程度の試合ですから、驚異的な敗戦です。どうしたらそんなにトライをとられるのでしょう。その先、中学、大学と同じリーグで対戦し続けたけど、結局1回も勝てませんでしたね。すごいやつです。

 たけちゃんは僕がラグビーするところにはどんな遠いところだろうと連れて行ってくれて、雨の日でも雪の日でも、練習中にお漏らしをしたときも家まで送り届けてくれました。たけちゃんは口数が多い方ではなくて、言っていたことで覚えているのは、「タックルしろ」と「足首をねんざするから内股で歩くな」ということくらいです。おかげさまでタックルすることにあんまり抵抗はなくなりましたが、内股は健在です。明治学院戦の前日にも足首をねんざしました。忠告を無視し続けた因果応報というやつでしょう。

 たけちゃんは僕が大きくなるにつれて当たり前に年を取って、僕が大学生のころにはもうだいぶ忘れっぽくなって、手助けがないとあんまり動けず、ほとんど何もしゃべらない状態になっていました。

 しかし、2年生のときの明治学院戦の日の朝、同居しているたけちゃんに声をかけようと部屋に行きました。すると、たけちゃんは一人でソファーに腰かけて新聞を読んでいました。どうやら一人で立ち上がってトイレに行き、一人でソファーまで歩いてきたようでした。こんなに動いているのを見たのはもう1年以上も前のことだったので、家族一同たいそう驚きました。そして、僕をみとめると、「今日やる明治学院ってすごく強いんだよね。けがしないように頑張ってね」と突然人が変わったように饒舌にしゃべりだして、さらに驚いたことを覚えています。

 結局その明治学院戦では、タックルにいったときにあごを骨折してしまい、病院に行った後、うまくしゃべれない状態で帰宅したら、たけちゃんはあのいつもの無口な様子に戻ってしまっていました。そして、その3週間後にはもういなくて。結局あの日はなんだったんだろうと今もふと思います。あの時ケガしてなかったらどうなったんだろうとかちょっと考えちゃうけど、きっと杞憂ってやつです。どうにもならないんでしょうね。

 明日の試合はセンターで出ますが、たけちゃんもセンターだったみたいです。なんだか真似したみたいで少し恥ずかしいですね。たけちゃんのおかげで、生きなおすとしてもまたラグビーがやりたいと思うほどにはラグビーが楽しいです。でも、医者に止められそうになるくらいいっぱい怪我もしました。たけちゃんのせいですね。いいえ、僕が勝手にけがして、それでもやりたくてやっているのですから、僕のせいです。気にしないでください。何とか頑張ります。本当にありがとうね。

 ラグビーを始めたころはラグビーが全然好きではなくて、ラグビースクールの毎練習後に「次でやめるから」とか言っていたみたいです。だけど、いつの間にか当たり前のようにラグビーの練習に行くようになり、こうして細々とラグビーをのんきに続けてきたわけですが、それはきっと、ラグビーに何か面白いところを見つけたからなんでしょうね。

 そのきっかけはなんとなく覚えています。それは小学生のころ、試合でタックルをして倒したら、相手の打ちどころが悪かったらしく、泣き出してしまいました。この時、なぜかラグビーが楽しいと思いました。なんとおそろしい子供なのでしょうか。でも、当時ことあるごとに服の襟元を濡らしてばかりいた泣き虫で弱虫の僕にとって、誰かを泣かせるという出来事はきっと、何か大きな意味を持っていたに違いないのでした。そこから僕はタックルが好きになって、相手の股間をバインドすると相手の動きが止まる、とか小賢しいテクニックを身につけながら、だらだらとラグビーを続けてきました。

 ラグビー部の方ならご存じかもしれませんが、僕は優柔不断でどうしようもない人間です。とにかく無責任で、選択することから逃げてばかりの生活です。この間は、ピーマンを買うか、はたまた小松菜を買うかでたいへん迷い、結局10分くらいうろうろしてそのまま何も買わずにスーパーをあとにしました。どっちを買ったって、結局はお肉と炒め合わせるくらいにしか使わないのですから、なんとなくで選べばいいのに、理由もなく立ち止まってしまいます。そうして、止まった足を一歩踏み出す勇気がまるでありません。最近勇気を出してできるようになったことといえば、ご飯を食べてるときに店員を呼び止めて、「お水のおかわりをください」と言うことくらいです。いつもうじうじしてばっかりで、だめですね。

 でも、ラグビーをしているときにはそんなことで悩んでいる時間はありません。有無を言わさずに、自分なんかよりずっと大きい人がいかめしい顔をして、時には髪をすごくカリアゲて、むきだしになったギョウザ耳で風を切りながらこっちに向かってきます。恐ろしいですね。いつもの僕だったら、そんな人がいたら目を合わせることはおろか、下を向いて逃げるように道をあけわたしてしまうことでしょう。

 しかし、ラグビーをしているときはなぜか、そんな人たちにもぶつからないと、というような気分になるのです。それは覚悟とか勇気とか、そんなたいそうな格好のいいものではなくて、ただ、迫りくる相手という目の前の現実に精いっぱいで、恐怖とか、躊躇とかの言葉が出る以前の状態、というだけなのかもしれません。でも、いつもしり込みしてばかりでせこい自分が、自信なんてちっともないのに大きな人に当たりに行こうとするのがまるで自分じゃないみたいで、いつだってその感覚が不思議で、新鮮で。そうして万が一でもタックルして倒したりなんてできたら、飛び跳ねたくなるくらいうれしくて。結局ラグビーをやっている理由は、ラグビーが好きになった時から一緒で、いい意味で我を忘れてしまうような瞬間があるからなのだと思います。

 ラグビーは一人ではどうにもできなくて、いろんな人がいてやっと成り立つものだと思います。自分はガリガリだし、すぐテンパってしまって右も左もわからなくなってしまう人間です。心も未熟でできることが少なすぎて、グラウンド内外でチームメイトに助けてもらってばかりです。プレイヤーもマネージャーさんもみんな僕にないものばかりでできていて、そんな皆さんのことを本当に心から尊敬しています。なんかの歌詞みたいになっちゃいましたね。そういう人たちに囲まれて、僕も少し前を向こうと思えるのです。そうしてみんなでつかんだ勝利は、何事にも代えがたい喜びがあって、だから僕はラグビーが好きなのだと思います。

このラグビー部での生活では、いろんな人に甘えてばかりで迷惑ばかりかけました。

 最初入ったころは帽子を奥深くかぶり、人とまともに話ができず、練習もたまに行く程度で何なんだこいつはと先輩方は思われたことでしょう。そんな自分でも優しくしていただき本当に感謝の気持ちしかありません。先輩にはめちゃくちゃメシに連れて行ってもらいましたが、ちっとも体重を増やさず、迷惑ばかりかけました。でも、先輩とのラグビーは楽しかったし、ラグビー以外でも、いろんなところに連れて行ってもらって、楽しい思いばかりさせてもらいました。

 特にこの一年は、ネガティブで無責任でへこたれてしまうどうしようもない自分を、いろんな人に起き上がらせてもらう日々でした。

 後輩のみなさんはすごくしっかり者で、僕はもう甘えてばかりでした。励ましてもらったり、怒られたり、おごってもらったり、髪の毛を切ってもらったり(写真↑)、授業の課題をやってもらったり、洋服をもらったりもしました。ドライブも連れて行ってもらいましたね。何でもしてもらって、先輩としてあまりに情けないですね。練習や試合の時も4年生なのに頼りなくていっぱい負担をかけてしまいました。いっぱいアドバイスや意見もくれてありがとう。特にブラやしょうやはるひとには本当に頭が上がらないです。皆さんは大丈夫だし、何も言うことはないし、僕がいうことでもないかもだけど、ただ、元気でいてほしいです。けがをしないでほしいです。ラグビーを楽しんでいてほしいです。

 同期の皆さんは、みんなちょっと変なひとたちで、優しいひとたちばかりでした。はじめなんてろくに会話をすることもできずに、だいぶご迷惑をおかけしたと思います。でも、皆さんとてもやさしくて、気さくに話しかけてくれて本当にありがたかったです。ごはんを食べるのが致命的に遅かったり、片付けなかったり、意見を言わなかったり、いらいらさせることばかりですいませんでした。でも、同期といる時間はとても楽しかったし、いっぱい背中を押してもらいました。皆さんがいたから大学でラグビーを続けてこれたのだと思います。

 チームのひとたちはみんないいひと過ぎて、もらってばかりでどう返していったらいいかわからないのだけど、あと少しですが、もうちょっとちゃんとします。ラグビーも頑張ります。そしてやっぱり、勝ってその喜びを共有したいなと思います。本当にありがとうございました。

 最後に、家族へ。家族もやっぱりちょっと変わった人たちで、声がでかすぎてイタ飯屋を出禁になった父とか、誰の保護者か聞かれ、「鬼瓦です」と意味の分からない偽名を使う母、植物とスパイスカレーを愛する兄、オレオレ詐欺を撃退する祖母など、個性的なメンバーがそろっています。家族にはわがままばかりで、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。けがばっかりで心配もだいぶかけました。

 特に今年はラグビーが楽しくて、いろいろなことをおろそかにしてここまで来てしまいました。このままだと、とんでもない親不孝者ですね。でも、家族はいつも優しくて、なんだかへんな気持ちになります。とりあえず、今は怪我なくプレーできるように頑張ります。死なないように、頑張ります。ラグビーは長く続けてきたわりには上手にならなかったけど、自分にとってとても大切なものになりました。続けさせてくれて、見守ってくれたことを感謝しています。そして、これからもよろしくお願いいたします。

 こんな感じで、ほかにもラグビーを教えてくれた人たち、今まで一緒にラグビーをやってきた仲間とか、感謝したい人はごまんといて、まだまだ書き足りません。だいぶ自分語りばかりでながながと大変お恥ずかしい面白くもないことを書いてしまいました。こんなどうでもいい文章を最後まで読んでくださった方がいたなら驚愕します。こんなものが世に出たらと思うと恐ろしくて仕方ありません。

 これからの試合は、みんなずっと言ってたけど、ポジティブな言葉で埋めたいです。僕はメンタルがよわよわです。だけど、試合中に前向きな言葉があれば、少し前を見れるようになるくらいにチョロい生き物です。みんなは結構メンタルが強いひとが多いから心配してないけど、うまくいかないときに、周りの言葉で前を向ける人が一人でも多くいれば、それが言葉のまやかしだろうが、それはすごく大切なことなのだと信じています。僕も声を出すから、諦めずに、頑張りましょう。頑張ります。

 次の部日記はそうたくんです。僕らの代のバックスは僕とそうただけで、ふたりでパス練習なんかもかなりやりました。1年生のころは僕と似た体型だったのに、いつの間にかめちゃくちゃ大きくなって、ついにユニット中にフォワードに呼ばれて、時折スクラムの練習まですることもありました。その間バックスのユニットは4年生が僕だけでなんかさみしいです。「ユニットどうする」という奇妙な一言で始まる日々のラインも、もうすぐ終わってしまうのかと考えたらちょっとさみしいですね。いつもメニュー考えてくれてありがとう。ふたりで、バックスを最後まで盛り上げていきましょう。