みなさん、お疲れ様です。

4年FLの松岡龍之介です。

めいみちゃんは僕が最も仲の良い部員の一人です。しんさく初めてかもとは知りませんでした。光栄です。

僕はまだ4年同期の部日記を一つも読んでいません。読まない理由はそんなに明確ではありませんが、たぶん泣いちゃうのはわかっています。

対抗戦期間中になよなよしちゃうのが怖いのかもしれません。、

なんたって初めてスタメンとして迎える対抗戦なので。

ただ、部日記がリレー形式なので前作のめいみちゃんのだけは読みました。

彼女はほんとにすごい人です。何回か一緒に熱い話もした覚えがあります。

残念なことに彼女の飼い猫にはまだ会えていません。ぜひ卒業までには実現したいものです。

さて、ますこの日記が長文だと評判です。僕もいくらでも書けます。競争しよっかな。

書くことはいくらでもあるので、何から書いてよいかわかりません。

最後の部日記、せっかくなので僕がこの部に入った経緯から説明しましょう。

長くなるよ♡♡

僕は最近この部に入部してちょうど3年満くらいになります。

というのも、中高とテニスをやっていた僕は大学1年ではテニサーに入っていました。まあまあ上手かったせいで、超うまいやつらと絡むわけでも、初心者と絡むわけでもなく、友達といえる友達も2,3人でした。

なんとなく大学生活これでいいのかなーと思っていました。

ちょうど大好きなテニス選手、ロジャーフェデラーも歳の影響であまり大会に出ておらず、テニスモチベも下がっていました。

一年の秋ごろ、ラグビーのワールドカップが日本で開催されました。まじでラグビーなんて知らなかったんですが、結構面白そうだなとテレビでみて思いました。

ゼミには偶然にもラグビー部の大島くんがいました。彼に声をかけ、先輩に紹介してもらい、平手さん、ひだっちゃん、大島、僕で五右衛門で部活紹介をしてもらいました。

五右衛門に向かう道中でキラキラした大学生たちを見て平手さんが言った「あんな生活は俺らには無理なんだ」という一言は今でも覚えています。

そこからはすべて「ノリ」です。全員になんで入部したの?と散々聞かれましたが、簡単に言えば新生活への期待が60%くらいでその答えです。

三商にいかなかった僕の最初のラグビー部での思い出は同期に連れられて谷保の建物の地下に行ったあの時です。

初めて竹内さんに会った時は怖くて怖くてちびりそうでした。ウェイトも人生初で、何も知らない僕に竹内さんは自慢の大きな声で優しく沢山のことを教えてくれました。

竹内さんのおかげでベンチは97.5、スクワットは170が上がらず仕舞い、デッドは160とかだっけ、まで伸びました。

改めて宣言しておきますが、竹内さんと最も仲良くなったのはこの僕です。

練習終わり、夜19時くらいにTFCに行ったら、「大谷君すごいねえ~」から始まり、1時間半くらい座ってずっと話し込んでいたところで、「なんだよお前、もう体冷えちまっただろ!もういいよ、帰んな!」と言われ、ウェイトを中断して帰りました。

・・・

僕の実力不足でTFC時代には僕が試合に出るところはお見せできなかったですが、あのころに得たもののおかげで、今、試合に先発出場できています。竹内さんには感謝しかありません。今度、国立住みの竹内さんが大好きな仲間たちとあいさつに行きます。

さて、入部が対抗戦終了間際だった僕が本格的に活動を始めたのは、2年生からです。

ラグビーの右も左も分からない僕ですが、佐々木組の先輩方は根気強く教え続けてくれました。その時はウィングだったのですが、今でも覚えている教えが一つだけあります。それは、「とにかく声を出すこと」です。グーパーコール。余っているか、いないのか。大きな声でしゃべり続ける。これだけやっていれば良い。何度も何度も教えてもらいました。

その時は何をしゃべればよいのかわからない不安で結局声もほとんど出せていませんでした。今の1、2年生でも「もっと喋れ」と言われている人もいると思います。たぶんですが、4年になったら喋れるようになると思うので、そんなに心配しなくてもいいかもしれません。しかし、今すぐに試合に出たいという熱い気持ちがあるなら、こういうラグビースキルよりは簡単そうなところで頑張ってみるのもいいと思います。こんな偉そうなことを言える立場ではありませんが・・・

やっぱり2年生の話といえば、後十字靭帯損傷でしょう。9月くらいだと思いますが、まだまだ右も左もわからず、ふわふわ動いてたら、何が起こったのかも分からないうちに怪我をしていました。

後十字損傷なので、もっと程度がひどい状態の仲間が何人もいますが、それでも結構痛かったので書かせてください。

最初のうちはとにかく膝を曲げないように過ごしていましたが、ある朝、ベッドから起き上がるときに、すっかり忘れていて、ひざを曲げてしまいました。激痛が走って、あまりの痛さに脳内で「バッチーーーーーーンんン”!!!!!」という音が聞こえるとともに、視界がなくなり真っ暗になりました。5分くらい。

いやーあれは痛かった。

あとは、当時寮に住んでいたんですが、トイレが共用のもので、大便をするときに膝を曲げないようにすると、個室のドアを閉めずに脚を外に出すしかなくて、人が来ないかドキドキしながらうんちしてました。あんときは「普通の生活」もできないのか、と一人おめおめ泣いてましたね。

その後も3年までいくつか怪我が続くことになるんですが、やっぱり2年生の時は、そもそもラグビーというスポーツを1ミリも理解できていない中で大きなけがもあったので、「対抗戦出場」なんて考えてもみませんでした。

それが目標として浮かび始めるのは3年生になってからです。

3年生として迎えた平本組では、佐々木組の4年生が大勢抜けたので、自分にもチャンスがあるんじゃないか、と思い始めました。

どうなったら強くなれるのか、ますこにたくさん教えてもらいました。練習後の自主練、ウェイトの自主メニュー。竹内さんに、強くなりたいのでメニューを増やしてくださいってお願いしました。ここについての心理状況はますこが書いていたので省略します。

・・・

夏終わりにかけて対抗戦が近づいていきました。初めに結論から言っておくと、残念ながら実力が全く追いついておらず、少ない総部員数の中で、ベンチ入りすらしていない試合もありました。総出場時間は成蹊戦の最後5分と、どこか忘れたところの最後5分で合計10分です。

ますこと同じで人間ができていない僕は、この状況に耐えられませんでした。

1試合、また1試合と経つにつれて、いやなことを考えては、自己嫌悪の繰り返しでした。

あいつとおれと何が違うのか。ここの部分は俺のほうがいいんじゃないか。俺は「試合に出られる最低レベルのDF精度じゃない」と言われるが、あいつらが出たって毎試合何十点も取られて負けているじゃないか。

全部負け惜しみで、出れてないのは出れてないやつが「足りていない」から出れてないんです。でもそれを認めるのに十分な人間力はありませんでした。

対抗戦も終盤に差し掛かってから、ようやく気持ちを切り替えて、あらいさんに、どうやったら出れるのか直接聞きました。電話で押し掛けたのに30分かけて丁寧に説明をしてくれました。

しかし、時すでに遅し。結果は先述の通り、自分はほとんど試合には出れず、チームも成城戦を除いて全敗でした。

ますこは堀内組、佐々木組が「嫌い」だといいます。そういう意味では、僕は平本組が「嫌い」です。いやな思い出しかありません。でも、そういう時期を経験できてよかったと今では思えます。自分の未熟さを認識することができました。

また、そういう時期だからこそ、その時期に僕のことを応援してくれた人のことは絶対忘れません。チーム内には3人います。(そのほかは全員敵だと思ってました)

一人はしまいたん。「おれは松岡出てもいいと思うけどな」と言ってくれてました。照れ隠しで「それはあらいさんに言ってくれ」と返していましたが、めちゃくちゃ嬉しくて、家帰って泣いてました。

二人目はゆばさん。彼も「おれは松岡がグラウンドで暴れまわるところ見たいけどなー」と言ってくれました。ゆばさんは平本組が始まった時からずっと「お前はもっと成長できるから頑張れ」と言い続けてくれていました。

三人目に一応加えるのはますこ。彼は逆に厳しいことを言い続けてくれました。

そして、もう一人加えるとするならば、それは篠田さんです。引退試合後の表彰のときに、「篠田賞」をくれました。彼はFW、僕はBKでもらえるはずもないと思っていましたが、「今年すごく成長した」と言って、アイルランドのTシャツをニュージーランドのと言ってくれました。貰った時は暗かったので分かりませんでした。今考えると明らかにおかしいです。でも、ちゃんと今でも宝物です。あの時にあの時の僕をあのような形で認めてもらえなかったら、今の僕はないと思います。前の3人はあの時を支えてくれましたが(もちろん今もだけど)、篠田さんの存在は今の僕を存在させてくれています。篠田さん、あれめちゃくちゃ嬉しかったです。

ちなみに、あの三つ巴戦では、対抗戦に出ていなかったメンバーがメインということで僕もたくさん出ましたが、あの試合後に村山、白石が「松岡さん良かったっすね」みたいなことを言ってくれたのもめちゃくちゃ嬉しかったです。泣きそうになったのを何とか堪えました。

4年になったらなんでかFWに来ちゃいました。新しくLO、LO競り、スクラムといろいろと覚えることができて楽しいです。新参者なのになんでかスタメンにいます。BKではなれなかったのに。

バックスでスタメンを獲得できなかったのは心残りですし、たぶんハンドリング的に今でもできなそうなんですが、でもFWのプレイスタイルがそもそも自分がラグビー始めるときにやりたいと思ってたものなので、これでよかったのかもしれません。

FWはすごく人があったかくて良いところです。道に迷って自分が嫌になったBKはFWに行くといいかもしれません。FWフロントには門屋さんにはじまり一定数「BKとは口きかねえ」という先輩がいますが、FWに入ってしまえばそういう人たちとも仲良くなれます。

何はともあれ、今はありがたいことにスタメンを頂いています。スタメンになりたくてもなれない人の悔しさを知っている分、グラウンドで走り回って出し切る、これが毎試合での個人的な目標です。

だいぶ長々と書いてきました。一応時系列に書いてるつもりですが、文章が下手ですみません。

対抗戦も残り2戦です。泣いてばかりではいられません。武蔵戦はかなり悔しかったです。残り2戦は東大戦勝利のようにうれし泣きできるように頑張ります。余談ですが、大島は泣いてないと言い張っています。かっこの悪い男です。

・・・

そろそろ次に回します。

次は徳富さんです。彼は特に島田組をやる上で非常に頑張ってくれた人です。

そもそも大変な主務という仕事に、コロナ・クラスター対応と本当に体を張ってくれています。そして今も三商に向けて沢山のことをしてくれています。僕なんかは対照的に全く部の仕事をしていません。呑気にラグビーだけして泣いてばっかりいられたのは、彼のような人が部活を運営してくれていたからです。感謝してもしきれません。

また、彼のことを語る上で、運営面のことをよく言いがちですが、彼はラグビープレイヤーとしても非常に良い男です。彼も試合に出ていない時期を経験している人で、試合中は常に一番声を出しています。僕も試合中何度も彼に、がんばれと励ましてもらいました。また、ハイパンキャッチやランニングはもちろん、最近ではパスもうまくなってきています。手の付けられない男です。

学校の勉強も就活も頑張っていた彼が、ラグビーでも成長しているという事実の裏には、彼自身の能力と努力はもちろん、彼にも彼を支えてくれた大事な人がいたんだと思います。ずっと「何かを持っている」と言われ続けた斎藤佑樹が、その「何か」が「仲間」だと気づいたように、彼にも大切な仲間がいるんだと思います。部日記ではぜひ、彼の熱い気持ちを聞かせてほしいと思います。

ここで部日記を終わります。

この後にはお世話になった皆さんに感謝の言葉を送ります。

読んでくれてありがとうございました。

残り2戦頑張りましょう。

 

まずは、同期のみんなありがとう。自分大好きなので部日記にみんなの登場回数が少なかったですが、みんな愛しています。てかほんとに自分のことしか書いてなくてびっくり。みんなとのエピソード書けなくてごめんね。ひだっちゃん、お世話になったね。君の面白さのおかげで、ほんとに部活が明るくなった。何かあったら、いつでも電話するんだよ。合コンは?へいた、お世話になったね。部活に入りたてで友達もいないおれを拾ってくれたのは君だ。しゃぶ葉に2人で行く仲になったのは君だけだ。さわい、お世話したな。いろいろと。末永くお幸せに。後藤、よくマック行ったな。シャカシャカチキンと「あっち」はほんとに笑った。大島、ひどいことばっか言ってごめんな。全部君が好きだからだ。樋口も大島と同じだな。しまいたん、これからもご飯いこうな。島田さん、めちゃくちゃお世話になったな。君のおかげでたくさん試合に出れて満足してるよ。女ラクとの合コン頼むよ。とくとみさん、お世話になりました。今度一緒に帰ろうな。中尾のかんちゃん、大好きだよ。かんちゃんにもお世話になったね。りんちゃん、マック行ったな。合コン誘ってね。めいみちゃん、お世話になったね。また飲みに行こうな。さと、仲良くしてくれてありがとう。ますこ、サマラン行こう。

誰も忘れてないよね。

後輩たち。げっぷばっかりしてごめん。特に2,3年生はラグビー上手い人が多いのに、自分より下手な俺にずっと根気強くラグビーを教えてくれてありがとう。今の俺があるのはきみたちのおかげです。1年生も入部早々試合に出たり、練習でも重要なパートを占めるようになってきて、本当に感謝してます。ありがとう。加藤ちゃん、がんばれよな。去年ベンチで悔しいっすねって言い合ったの忘れないからな。

先輩方。本当にお世話になりました。代がかぶってない先輩方も毎週のようにグラウンドにきて教えてくれて、本当にありがたいです。特に僕は、OBの方に名前覚えてもらえるようになったのが非常にうれしかったです。これからもぜひ現役をよろしくお願いします。

松岡さん。入部当初、同じ苗字のトレーナーがいると何百回も言われました。怪我が多かったので、本当にお世話になりました。めっちゃアスリート的に動けるようになってきたと思います。

近藤さん。お世話になりました。3年のときはずっと一橋の隠し兵器枠でしたが、今は表兵器になれているでしょうか。

竹内さん。お世話になりました。僕の体の土台を作り上げてくれました。竹内さんに褒められるのがモチベーションでウェイトを頑張れました。ありがとうございました。

阿久津さん。どこの馬の骨ともわからない僕に、よくして頂いて本当に感謝しています。ありがとうございました。僕は丸信大好きです。

望月さん。お世話になりました。すぐに感情的になる幼い僕に冷静になれと仰ってくれたのは、望月さんだけです。ありがとうございました。

やおぎんさん。いつも美味しいごはんをありがとうございました。おかげで大きくなることができました。

両親に感謝を忘れていました。だいたいいつも何も言わずにやることを信じて見守ってくれます。ラグビーを始めるときはさすがに心配してましたが、大丈夫でした、成長できたと思います。21年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

おわり

ちゅ

松岡龍之介