ヒエヒエの実の能力者、日高からバトンを受け取りました。4年の増古です。彼のアイス・エイジは時に人の心まで凍りつかせることがありますが、これが実の覚醒というやつでしょうか。自分の発言で場を凍らせた後、「俺ってつまんないでしょ?」というような哀しみと誇りの混ざった上目遣いでこちらを見てくるのはどうにかならないんでしょうか。哀しいのはともかく何でちょっと誇らしげなんだよ。

ここまで散々に書きましたが、彼はめちゃくちゃにいいやつで、僕にとって本当に大切な存在です。「日高の良き隣人たれ。」我が家に代々伝わる言葉ですが、この4年間僕の原点であり続けました。人間生きていればうまくいかないことがたくさんあります。何をやっても失敗したり、なぜかずっと不安だったり、周りに攻撃的になってしまったり、そのせいで誰かと喧嘩してしまったり…。そんなことの連続です。でも、もし自分がどん底に落ちて全ての人間が僕に愛想をつかしてしまったとしても、日高だけは最後まで見捨てないでいてくれる。だから、せめて彼の良き友でいられるよう努力しなさい。そんな意味が込められているわけですが、実際何度彼に心を救われたか分かりません。辛い時、何かに悩んだ時、日高の存在を思い出して勇気をもらっていました。まあだからと言って悩みを相談したいとかは全く思わないんだけれども。僕に限らず、日高がこの部にいてくれて良かったと思っている人は多いのではないでしょうか。そしてなぜ僕はこんなにも必死に彼をけなしたり褒めたりしているのでしょうか。悪魔の実と同じく、まだまだ謎が多い男ですね。

少し長めの同期紹介はこの辺にしておいて、もっともっと長い本編に入りたいと思います。月並みですが、4年間を振り返っていくという形を取らせていただきます。

まず、堀内組と佐々木組という時代が僕は嫌いでした。少し乱暴な言い方になってしまいますが、この2年間は試合に出たくて僕なりに本気で頑張って、それでも全く届かなかった時期なので、半ば悔し紛れの表現だと思って大目に見てください。誤解のないように言っておくと、もちろん先輩たちのことは大好きでしたし、彼らと過ごす時間も楽しくて、ラグビー部を嫌いになるようなことは決してありませんでした。たとえば、佐々木組の部旅行の時、車で地図に無い道に突っ込んで行こうとするケイシーさんを止めようと、生身で飛び出していった中山さんの勇姿を忘れることはないと思います。後にも先にもあんなに慌てた中山さんの姿を見ることはありませんでした。こんなふうに、どちらの代の先輩からも良い思い出をたくさんいただき、グラウンド内外で色々なことを教わりました。本当に感謝しかありません。

それでもやっぱり、1人のラグビープレイヤーとしては、試合に出られなかったこの時期がとてもつまらなかったです。大学に入学し、他に行きたいところもなくラグビー部に入った僕の最初の悲劇は、同期が優秀すぎたことでした。いや、僕が未熟すぎただけかもしれませんが、ともかく、当時13人いた同期プレーヤーのうち、1、2年生でAチームのメンバーに全く入らなかったのは、大学からラグビーを始めた徳富と日高、そして中学からラグビーを始めた僕だけでした。これから少しずつ色々なことを覚えていけば良い2人に比べて、僕が抱える劣等感は一線を画するものだったと思います。対抗戦で仲間やチームが最高に輝いている時、僕はグラウンドに立っていない。全く面白くなかったし、僕は人間があまりできていないので、自分が出ていない試合でチームを心から応援する気にもなれませんでした。あとはやはり、同期がグラウンド内では自分より上の存在かつ嫉妬の対象であり、グラウンド外では対等な友達というギャップも少々厄介で、卑屈にならないように気をつけるようなこともありました。でも多分、彼らの方がもっと気を遣ってくれていたんでしょうね。不安でたまらないであろう、1年生として出場する対抗戦の前日であっても、僕といる間は試合の話はほとんどしていなかったなとか、今になって思うところがたくさんあります。劣等感はあっても疎外感はなかったというのが本当に良い同期に恵まれたなあと感じる大きな要因ですね。練習後などにみんなとご飯を食べる時間や澤井の家に入り浸っている時間が本当に楽しかったです。

話を戻しますが、グラウンドにいる間は辛いことや嫌なことがたくさんありました。特に、毎年のことですが、対抗戦期間が近づくと全体の練習時間が短くなり、さらにBメンバーはほとんどAチームのDFなんかで終わってしまうことも多くなります。この時期は正直毎日が気だるく、モチベーションも何もありませんでした。ただ、毎日部活に出ているだけではなんの成長もできないという焦りだけは感じていたと思います。B練やB戦などチームが用意してくれた場は大変ありがたかったのですが、それだけでは不十分だったので、1年生の夏を過ぎた頃から個人練習を長めにするようになりました。時には先輩に協力をお願いし、時には同期を誘い、時には1人で。俺が誰よりも頑張っていた、などとはとても言えませんが、試合に出ない分他の人より体を追い込むことができたので、自分なりに濃い時間を過ごせていたと思います。そんな中、練習が終わると早めにグラウンドを出ていったり、怪我明けですぐスタメンに復帰していったりするチームメイトを見ているのは、実力が全ての世界とわかってはいても気分の良いものではありませんでした。むしろ、こうした事が決して理不尽ではなく、筋が通っているからこそのやりきれなさや負の感情があったのだと思います。佐々木組の春、フルコンに次ぐフルコンの日々でも同様の想いでした。怪我人が続出しどんどん参加者が減っていく中、僕は運良く動き続けられたため、コロナによって活動停止となるまでほぼ休むことなく体を当てていましたが、胸の内では、試合に出られていないからこそ俺が1番やってやるんだという虚勢と、なんで試合に出られていない俺が1番こんなことをやらされているんだという本心が常に闘っていました。同年の対抗戦期間中、現在は無くなってしまった谷保のジョナサンで、僕と日高、松岡、やまかんという4人のメンバー外で、Among Usをやりながら色々と愚痴りあったのも今となっては良い思い出ですね。Among Usで僕と松岡に下手だ下手だと散々罵られたうえ、その2人が財布を忘れたため全額支払うことになってブチギレていた時の日高が、申し訳ないけど今までで1番面白かったです。

試合に出られるようになってから思っているのは、平本組や島田組にもかつての僕と同じような想いを持っている人間がいるかもしれないということです。ずっとつまらないなと思いながら対抗戦期間を過ごし、あの東大戦の勝利もどこか冷めた目で見ていたチームメイトがいるかもしれない。そういった仲間に少しでもチームを好きになってもらい、みんなが1つとなった「ワンチーム」を作り上げるために、僕自身もグラウンドでできることをしているつもりですが、なかなか難しいですね。

そこで、というわけではありませんが、ここからは過去の僕への、そしてもしかしたらいるかもしれない同じ想いを持った人へのメッセージを少し書こうと思います。興味のない人は飛ばしてください。

なかなかに苦しい日々を送っているあなたへ。多分チームのみんなが共有している、喜ぶべき場面で喜べないし、熱くなるべき場面で熱くなれないことが多いんじゃないでしょうか。なんなら自分の出ていない試合なんて負けてしまえと思ってしまう時もあるかもしれません。でも、そんな自分を嫌いにならずに胸を張っていてください。それはあなたの大切な本心であり、その気持ちに嘘をつきながらヘラヘラ過ごしていられるほどあなたの4年間は暇ではないはずです。

その代わり、その想いを練習という形でグラウンドに、ウエイトという形で器具に、必ずぶつけてください。なぜ試合に出られないのか、なぜ自分はこんなにも下手なのか、なぜ自分抜きでチームはこんなに盛り上がっているのか、全部ぶつけて走り続けてください。その時は少しきついかもしれませんし、その先間違いなく結果が出るなんて無責任なことは言えませんが、絶対に今頑張った方がいいと言える理由が少なくとも2つあります。

1つ目は頑張ること自体があなたにとっての素晴らしい経験、財産になることです。今回の努力が結果につながるかは分かりません。でも、その後には必ず「辛い時でも頑張れる自分」が残ります。次に同じような困難が立ちはだかった時、あなたは絶対にまた闘える。他の人が諦めるような状況であっても、あなたならやりきれる。そこでまた結果が出なくとも、次の次であなたはもう一度立ち上がる。そんな人間になれるはずです。そして、もしも死ぬその時まで成果を得られなかったのなら、結果に恵まれないまま一生頑張り続けたすごいやつなんて滅多にいないはずなので、誇らしげに笑って死んでください。それにあなたにはラグビーをやめて他の道に進む度胸なんてなくて、どうせ4年間をグラウンドで過ごすのだから、頑張ってみないだけ損なのではないでしょうか。

2つ目は、何より素晴らしい仲間ができることです。頑張る人間を嫌いな人なんていませんから、あなたが頑張れば頑張るほど仲間が増え、今僕の周りは素敵な人々であふれています。彼らはとても良い人たちなので、あなたがどんな人間でもある程度そばにいてくれるかもしれませんが、何よりあなたがあなた自身を彼らの仲間にふさわしいと認められるようになるためにも、日々進化してください。

平本組は、僕が1番成長できた期間だと思っています。プレー面もそうですが、何より人間的な部分に関して多くを学ぶことができました。1番大きな変化は、これまで自分のことしか考えられていなかった状態から、チーム全体を大切に思えるようになったことです。

主力の先輩方が大勢抜け、残ったメンバーにも怪我人が多い中で、ようやく試合に出場する機会を得られるようになりました。実力不足でチームメイトには迷惑をかけっぱなしでしたが、ようやく本当にチームの一員になれた気がしたし、今まで外から眺めていただけの同期たちと一緒に試合ができて、個人的にはとても楽しかったです。とはいえ、チームとしては常に負けが込む非常に苦しいシーズンでした。そんな中でも、初めのうちは自分のプレーのことしか考えていませんでした。たとえチームが100点差で負けたとしても自分が良ければ満足、「チームの勝利に直接貢献できる立場」というステータスを大事にしても、チームの勝利のために全てを懸けて貢献しようとはしない、そんな気持ちだったと思います。そうした考えが変わったのは、大敗が続いていた対抗戦中に4年の先輩方の必死な表情や少しでもチームを良くしようとする姿勢を目の当たりにしたからです。元々人数が少ない上に、グラウンドでプレーできる人はもっと少ない。そんな平本組の先輩方が僕たち下級生をまとめ上げるのには想像を絶する苦労があったと思います。そういったものを感じ取り、ようやく良いチームを作りたい、と考え始めた時には対抗戦も終盤でした。せめて夏くらいにに僕の気持ちが変化していれば、結果自体を大きく変えることはできなくともチームは多少なりとも良い方向に変わっていたかもしれない。そういった後悔の念とやりきれない想いを抱えたまま、最後の1年に向かっていくことになりました。だから、都合の良い話にはなるけれど、今年東大に勝ったあの場に平本さんがいてくれて本当に良かったと思っています。あれは間違いなく島田組だけでは得られなかった勝利でした。

島田組になってからは本当にあっという間です。今まで自分が経験してきたことを少しでもチームのために活かせるよう、グラウンドに出ているつもりですが、どうでしょうか。何はともあれ、僕が4年になっても元気いっぱい好きにやらせてもらっているのは、幹部陣をはじめとした、運営や戦術を支えてくれているメンバーのおかげですね。改めてこの場でお礼を言わせてください。ありがとう。

島田組はまだまだ終わっておらず振り返りというのも変な感じですが、3年ぶりの合宿、目標としていた明学戦での大敗、感動的な東大戦の勝利など、すでに色々なことがありましたね。個人的に思い出深いのは夏合宿でしょうか。合宿で酷使されるという経験は絶対にしたくないと言いつつも、少し、本当に少しだけ興味があったので、終わった今だからこそ言えることですが、味わえて良かったのかもしれません。そのくせ「疲れた」「スケジュールがきつすぎる」を言い続けたり、攻撃的になったりして、貫ちゃんや松岡を中心にだいぶ迷惑をかけましたね。すみませんでした。あれより大変な経験もなかなかないと思うので、この先何があっても頑張れる気がします。合宿が終わった途端にめちゃめちゃ元気になったへいた、面白かったな。

そしてもう1つ。やっぱり東大戦の勝利については語らせてください。間違いなく格上と言える相手から勝ち取った勝利。僕はああいう場面でも騒ぎすぎず、グラウンドの端っこの方で空でも見上げながら1人静かに勝利を噛み締めるクールなキャラクターを目指していたつもりだったんですが、まるで無理でした。ノーサイドのホイッスルが鳴る前に、ジョーにドン引きされながら飛び跳ねていたのは僕だけだったと思います。こんなにも僕が感情を爆発させたのには、2つの大きな理由があります。

1つは、前にも少し述べましたが、島田組と平本組で掴み取った勝利であったこと。東大と一橋は似た境遇のチームであると言われますが、今年に関しては対照的な面もあったのではないかと思います。昨年から人が大きく入れ替わり、この1年間で新チームを作り上げてきた東大に対して、僕たちはメンバーがそれほど変わらない(CTB→HOという特大バグがいるけど)、2年間かけて作り上げてきたチームで臨みました。人の入れ替わりがあまり無いとは言っても、2つの代を通して、数少ない先輩たちからとてつもなく多くのことを学び、新しく入ってきた仲間たちに刺激を受けながら、それぞれが大なり小なりの愛情をもって育んできたチームがようやくあの場で1つの形となった。たった2点差ではあったけれど、かけてきた2年、困難だらけだった日々が間違いではなかったと僕たちの意地によって証明できた。これは僕にとって何事にも変え難い価値を持つものでした。2年2年って、なんだかワンピースみたいですね。

そしてもう1つは、このチームが、そして僕が勝つ側の存在になれたこと。僕は中学校からラグビーを10年やってきましたが、自分が出場してきた試合のうち、ここ1番という公式戦で勝った経験は全くと言ってありませんでした。どれだけ気合を入れて臨んだつもりでも、最終的に笑っているのは相手チームという経験を重ねる中で、負け癖がついていたんだと思います。ですから、東大戦のハーフタイムに「あとは40分後に笑うだけだ」とみんなの前で言いましたが、あの場で最も一橋の勝利を信じられていなかったのは間違いなく僕でした。実際に、少し前までの負け癖がついていた一橋大学ラグビー部であれば、簡単に逆転を許し、点差をつけられるという「負けパターン」に陥っていたのではないでしょうか。でもあの日は違った。ずっと自陣に押しやられて2点差まで詰め寄られても、勝利だけを見て闘い続けた。そしてこれまでになかった「勝ちパターン」を創造して見せた。そんなチームの一員としてプレーしているうちにいつの間にか勝ちを疑わなくなっていた自分を見つけた時は、とても嬉しかったものです。人間ってたった40分で成長できるんですね。

最終的に14―12という決着になりましたが、この2点は来る日も来る日もプレースキックを蹴り続けたじゅんが魂で掴み取った2点であると同時に、日々延々と歯を食いしばってスクラムやモールを組み続けたFWの2点であり、2歩進んでは1歩下がるのを繰り返しながらも確実に進歩してきたBKの2点であり、毎日淡々とグラウンドに出続けた選手たちの2点であり、テーピングぐるぐる巻きでも、リハビリをしながら懸命にプレーする選手たちの2点であり、今なお怪我や病気と闘い、グラウンドには立てずともチームのために動き続ける選手たちの2点であり、選手たちを1番そばで支えるマネージャーたちの2点であり、僕らに関わり、僕らを応援してくれる全ての人たちの2点であったのだと思います。社会人になる前にこうした経験を積ませてもらったのは本当にありがたいことです。感謝とあの瞬間の興奮を忘れずに生きていきたいと思います。

さて、僕の大学ラグビー生活も残りわずかとなったわけですが、なぜこのスポーツをやっているのか、改めて考える機会も多くなりました。まずは日高に倣って、僕も大好きな漫画から引用させてください。CLAYMORE(クレイモア)という作品のワンシーンに、こんなセリフがあります。

友をつくりなさい 仲間と語りなさい たとえこの先がそれ程長い人生じゃなかったとしても その間にできるだけ多く笑ったり泣いたりなさい その一つ一つの全ての思い出が あなたたちの生きていた意味になるわ

八木教広『CLAYMORE』

この漫画は、クレイモアと呼ばれる女戦士たちの戦いを描いたダークファンタジーです。そしてこのセリフは、そう遠くないうちに世界を滅ぼす力を持つ敵が解き放たれ、なすすべがない絶望的な状況で、1人の戦士がその場にいた後輩戦士たちに逃げるように伝えた後、続けてかけた言葉です。滅びゆく世界、残された短い時間の中で彼女たちが何かをしても、記録に残るわけではないし、誰かが見て評価してくれるわけではない。それでも、彼女たちが少しでも長く生き延びて、仲間たちと紡いでいく想いには大きな意味があるのだということを伝えたかったのだと思います。

これって当たり前のことのように思えて、忘れがちなことですよね。僕がラグビーを続けてきたのも、結局はこういうことなのでしょう。もちろん個人としても、チームとしても数字や事実として結果を残さないといけない時もあるし、ただただきついことをやって強くならないといけない時もある。でもそれより大切なのは、いや、むしろその根底にあるのは、僕自身がどれだけ多くの感情を仲間と共に経験し、心に刻むことができるかということだと思うのです。

ですからみなさん、残された時間はそう長くはないかもしれませんが、これからも僕と語り合って、一緒に笑い、泣いてくれないでしょうか。わがままなお願いかもしれませんが、今あなたが何を思っているのか、何をしたいのか、どうしてここにいるのか、たくさん教えてください。それが僕のラグビーをする意味、そして生きる意味になりますから。そして、それがほんの少しでも、あなたの生きる意味にもなってくれたら本当に嬉しいです。

ここまで読んでくださった方、長々とお付き合いいただき本当にありがとうございました。実は引用したいもの、お話ししたいことはまだまだたくさんあるのですが、ここから先は、もし機会があるなら自分の口で直接お伝えしていきたいと思います。今回の部日記は全くドラクエだったり勇者だったりというものが出て来なかったので、少し変な感じはしますが、いつも通り冒険の書に記録するという形で筆を置かせていただきます。もう部日記を書くことはないかもしれないけれど、僕自身の冒険はまだまだ続きますからね。とは言え、とりあえずのエンディングとして、お世話になった方々へのお礼を述べさせていただきます。

竹内さん。「大丈夫だよつよいんだからぁー。」「増古選手、今日も絶好調かぁ!」という優しい言葉と、温かくも厳しい指導で鍛えられたこの体は、まだ怪我することなく元気にグラウンドを走り回っています。竹内さんからいただいた特製のDメニューに取り組むことが、なによりも自己肯定感を高めてくれました。谷保の地下はとても暖かく、辛くて寒い冬を乗り越えることができました。最後まで強く、絶好調で駆け抜けるので、是非応援していてください。ありがとうございました。

松岡さん。怪我をして直接お世話になることはそんなに多くはありませんでしたが、何かあっても松岡さんがついていてくれる、という事実がどれだけ勇気をくれたか分かりません。僕が1年生の時、夏合宿の夜に葛さんやケイシーさんと一緒にクソくだらない話で盛り上がったこと、覚えているでしょうか。本当に楽しかったです。みんなから優しいと思われがちな松岡さんに、直接「○ね」と言われたのも僕くらいじゃないでしょうか。ありがとうございました。

上田さん、永井さん。あの厳しいメニューのおかげで、高校の頃1番苦手でどうしようもなかったタックルに、少しだけ自信を持って入れるようになりました。次の試合もたくさん奥足取ります。ありがとうございました。

東芝の方々。望月さんの厳しいことはあっても、決して無茶はさせない指導。おかげで僕たちは、決して最短距離ではなかったかもしれませんが、着実に勝てるチームへと進化し続けることができました。宇薄さんの「増古、ええやん」をもらったり、夏井さんに褒めてもらったりするためにラグビーをやっていた時期もありました。増田さんの「急に力はつかないし、急に力は奪われない」という言葉、何より僕の自信を支えてくれました。僕はみなさんのファンでもあるので、実は現役時代の動画を探して見ることがしばしばあります。いつか当時のお話、たくさん聞かせてくださいね。ありがとうございました。

阿久津さん。阿久津メシは、僕たちの体だけでなく絆も強くしてくれる素敵な場所でした。美味しいご飯を食べながら、お互いに本音で語り合い、共に帰路に就く。まさに幸せとはああいうことだったのだと思います。僕は阿久津さんが期待してくださっていたような選手になれたでしょうか?あと少し、ベストを尽くします。ありがとうございました。

都立武蔵高校の親友たち、ラグビー部の仲間たち、先生方。1・2年生の1番苦しかった時期、毎日グラウンドに残り続けられたのは、間違いなくあなた方のおかげです。あなた方にかっこいい姿を見せたい、何より試合への出場を諦めるような情けない姿を見せたくないという想い、そして武蔵ラグビー部で過ごした日々が間違っていなかったことを証明したいという想いが、僕をギリギリのところで支えてくれました。本当にありがとうございます。もし良かったら試合見に来てくださいね。

そして最後に両親、家族。僕はラグビーにおいて、同期の誰よりも優れていると言えるところは1つもありませんでした。唯一自慢できるのは怪我をしないことだけ。この丈夫な身体のおかげで、誰よりも長くグラウンドに出続け、誰よりも4年間で成長したという誇りを、こんな僕でも持つことができました。僕を丈夫に産み、育ててくれたこと、そして今まで僕が好きなことに好きなだけ打ち込めるよう全力で支えてくれたこと、感謝してもしきれません。1人暮らしの部員も多い中で、食事や洗濯をはじめ健康に生きていける環境が整っていることが、どれだけ恵まれているのか実感しています。本当にありがとう。一生をかけてもいただいた分だけのものを返せる気は全くしないし、むしろたくさんのことを今後もいただいていくのだろうと思います。でも、これからは僕の方からも少しずつ色々なものをお返しさせてください。ですから、あとほんの少しだけ、僕が好き勝手やる様を見届けてください。よろしくお願いします。

ここに書ききれなかった方々もたくさんいらっしゃいます。省略のような形になってしまい大変申し訳ございませんが、感謝の気持ちは本物です。本当にありがとうございました。

次は、めいみに回します。めいみはもしかしたら、いや間違いなく、同期の中でさとと共に1番チームに貢献して来た人です。もしいなかったらチームは何も回らず、多分僕たちはグラウンドに立ててすらいないんだなと思う機会がたくさんあります。今回だって、僕の部日記更新が遅れるとすぐに新しいスケジュールを立ててくれました。もっと色々紹介したいんですが、更新があまりにも遅れすぎて、これ以上チンタラしていると本当に僕が消されかねないので今すぐバトンを渡したいと思います。迷惑かけてごめんね、それではよろしく。