松岡からバトンを受け取りました、4年生、主務の徳富優太です。

松岡は同じ初心者出身の同期ですが、フォワードへの栄転以降特に、チームを支えるプレーヤーとして不可欠な存在になっています。ウィングというポジション柄、スクラム1次ディフェンスでブラインドサイドを守る心細さを克服できなかった私ですが、松岡が自分のサイドのフランカーにいる時の心強さは半端ではありません。1次ディフェンスで内から来てくれる安心感は当然のこと、ラインディフェンスでもバッキングに来た彼に何度も救われました。また、運営面での私の仕事を部日記で綴ってくれていましたが、今年の合宿最終日、優秀選手を表彰する恒例の行事の後、幹部を労うサプライズ企画がありました。その企画を提案してくれたのは松岡だったそうです。思いやりがあり、粋な一面もある熱い男です。「熱い想い」という松岡のリクエストに応えられるだけの文章力があるかは微妙ですが、精一杯書きたいと思います。長くなりますが、ご容赦ください。

突然ですが、私は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が好きで、今も見続けています。北条義時が主人公のドラマですが、このドラマには朝ドラの「ちむどんどん」をもじった「死ぬどんどん」という異名があります。その名の通り、毎回のように主要登場人物が退場するからです。では、なぜそのような暗い話を見続けているのか。それは、登場人物が退場する度、その人の想い・生き様がつまった最期の言葉に心動かされるからです。そして、私は毎年この時期に楽しみにしているものがあります。それは、4年生の部日記です。その部日記を自分が今書いていると思うと、とうとうこの時が来たのかという想いがします。先輩方や他の4年生のような上手な部日記を書くことは出来ませんが、まずは4年間の振り返りをしたいと思います。

1年生 3月の部活紹介の日、私は篠田さんに声を掛けられラグビー部のブースに行きました。それをきっかけに私は後日のラグビー部のイベントに参加。新井さんに部の説明を受け心動かされた私は、宮田さんや平手さんに誘って頂いたこともあり、ラグビーという未知のスポーツを始めました。同じ初心者と聞いていた日高という男が、まだ仮入部なのにフィットネスをしているのを見てビビり。へいたが試合に出た際、口から血を流しているのに「全然大丈夫!」等と言うのを見て、6月の一時期は入部を辞めようかと思うこともありましたが、なんだかんだ入部。先輩方に基礎から優しく教えて頂き、試合に出ていいプレーをした際には褒めて頂くのが嬉しくて、とにかく練習した1年でした。そんな1年目の生活において、私が今でも鮮明に覚えている出来事があります。それは、国公立大会初戦の前日、ジャージ渡しの時です。例のごとく、堀さんからジャージを受け取った方が試合の意気込みを述べる行事ですが、当時のバックスリーダーの松尾さんの番が来ました。松尾さんは怪我で長らく試合に出ることが出来ておらず、その日が久しぶりのメンバー入りでした。その松尾さんがジャージを受け取った際、「ようやくこのジャージを手にすることが出来た」と仰いました。私はこの時、この赤黒ジャージを着ることがどれほど誇り高く、そしてどれほど責任あることなのか、どれほど重い意味を持つのかを知りました。以来、このジャージを着て対抗戦に出ることが私の目標になりました。

2年生 竹内さんのご指導の下、体づくりを進め、今年こそは対抗戦で活躍できる選手になると意気込んでいました。しかし、コロナパンデミックが始まります。部活動を出来ず、ウェイトも出来ない中、自重トレーニングや公園の懸垂、走り込みで活動再開に備える日々が夏終わりまで続きました。ようやく部活が再開されると、私はAメンバーとして最初の対外試合に出して頂けました。しかし、その後対抗戦直前にスタメンを外れ、念願の赤黒を頂いてメンバーに入ることは出来たものの、結局試合に出場することは出来ませんでした。正直、ものすごく悔しかった。実力が足りなかったからこそ、試合に出ることが叶わなかった。それ自体ものすごく悔しかった。しかし、試合に負けた時、試合に出ていたメンバーをベンチでただで迎えることしか出来ない。そのことがとても悔しかった。「ウィングとして絶対的な実力が無ければ試合には出られない」。そう心に刻みました。そして同時に、「もう先輩方が試合に負けて泣く姿を見たくない」。そう強く思いました。

3年生 最も思い入れのあるシーズンの一つであり、「4年生を支える柱になる」と心に決め、そうあろうとし続けた1年でした。シーズン開始当初から、コンタクト練習で脳震盪やバーナー等の怪我人が毎日のように出る日々が続きました。主将として練習を引っ張るため、脳震盪で体調がよくない中練習を続けていた平本さんも、やがて練習に参加出来なくなりました。あれほどウェイトを重ね、練習に打ち込んでいた弓場さんも、腰の怪我以来、ラグビーが出来なくなっていました。4年生の人数が少ない厳しい運営状況の中、最上級生として共に厳しい練習に入り、練習を引っ張っていければどれほどよいか。それをただ見ていることしかできず、不満を受け止めることしか出来ない4年生達の歯がゆさ、苦しみが想像され、私は「何があっても4年生を支え抜く一本の柱になりたい」と思い、それを貫く覚悟を決めました。だからこそ、全十字靭帯が部分断裂しても、体制が変わっても、後十字靭帯を損傷しても、練習に出続け、試合で闘い続けました。辛いこともたくさんありました。ほとんど辛いことだったかもしれません。他の4年生も意外と赤裸々に想いを書いていたので正直に書きますが、国公立の学芸戦辺りからは特に辛かった。バックスでミスが続き、負けた試合。自分はミスで足を引っ張ってばかりでした。ミスをしてチームの足を引っ張り、不甲斐なさをひしひしと感じる。「バックスは何をしているのだ」と言われても、その通りだから何も言えない。実力の無さを誰よりも自分が分かっている中、なんとか頑張ろうと努力し、もがいてもうまくいかない日々。夏以降は怪我も増えました。足首は腫れ、全十字のせいで膝の調子も良くない。後十字を損傷したのは対抗戦の2戦目・武蔵戦でした。怪我の痛みを我慢し、必死に努力してもうまくいかない。痛みを我慢し、これほど必死にやっているのに。そのように思うこともありました。しかし、それでも歯を食いしばって頑張り抜けたのは、「4年生を支え抜きたいという想いと覚悟」があったからです。その想いがあったからこそ、1年間、怪我を抱えながらも走る抜くことが出来たのだと思います。だからこそ、成城戦で平本組として勝利を掴むことが出来た時は、4年生と勝利出来たことが、涙が出るほど嬉しく。最終戦で4年生と1年を走り抜けた時は、涙が出ました。

4年生 ついに最上級生となった私は、主務になりました。これまで私達を導いてくれた上級生はもう無く、何の指針もないまま大海原に放り出された気分でした。そして、これまでで最も大変な一年が始まりました。ウェイトルームの使用に伴うガイドラインの改訂から私の主務としての仕事は始まりました。1月にはコロナの蔓延で停止となった部活再開のための嘆願書を作成し、なんとか再開。3月には濃厚接触者になった等のコロナ関係報告が毎週のようにきました。国立市の依頼でラグビー教室を開くことになり、3カ月の調整を経て実現。6月からは2年ぶりとなる菅平遠征のマッチングや準備を進め、ようやく終えたと思った矢先、ついにクラスターが起きてしまいます。38度の熱にうなされながら朝から晩まで方々に電話をかけ、大学との交渉や書類作成に追われる日々が2週間続き、なんとか部活再開の許可を得て4日で菅平入り。行ったら行ったで、体調不良者の発生、コロナで対戦相手がいなくなる、2年ぶりの偵察で不慣れから他校とトラブルが発生し、急遽翌日謝罪に伺う等、慌ただしい日々でした。対抗戦が始まっても、黒に近いグレーのコロナ案件等、綱渡りの状況は続き、三商戦向けた許認可交渉をはじめ、とにかくやることが山積し続けました。しかし、こうした日々だったからこそ、私は身をもって知ることが出来ました。それは、一橋大学ラグビー部の活動は、本当に様々な方々のご支援・ご協力で成り立っているということです。つらつらと今年の仕事を羅列したのも、単なるこの1年の備忘録という訳ではありません。この全てにおいて、本当に様々な方のお世話になりました。国立市のラグビー教室の際は、OBの小林様にご協力いただきました。この仕事を通じ、私達が普段当たり前のように使っているグラウンドも、小林様をはじめ、グラウンド管理委員会のOBの方々が日々大学とやり取りして下さっているからこそ使えているのだと痛感しました。私が何校打診しても全く組んで頂けなかった菅平試合も、望月さんにご協力いただいたことで何とか組み終えることが出来ました。そして何より、この一年の仕事において、近藤さんは常に私をご指導し続けて下さいました。クラスター発生の際も、お仕事がお忙しい中、その合間を縫って私にアドバイス下さり、何度も大学から訂正を求められた書類のチェック・修正も、朝から晩まで逐一して下さりました。菅平遠征が出来たのも、近藤さんが様々なOB・大学関係者に働きかけて下さったからです。こうした大きなものだけでなく、私はこの1年の仕事のあらゆる場面で、様々なことを近藤さんにご相談させて頂きました。近藤さんのお力添えなければ、クラスターを乗り切ることも、菅平遠征を行うことも、対抗戦に臨むことも出来なかったと思います。本当にありがとうございました。普段、当たり前にあった活動が、本当に多くの方の努力の上で成り立っていることを実感することが出来た1年でした。

そして、私がこのラグビー部で掴んだ最大の幸福は、素晴らしい“人”に巡り会えたことだと思っています。下級生として、私は本当に多くのかっこいい先輩方、憧れの先輩方に出会うことが出来、共に部活動をさせて頂くことが出来ました。そして、何より、本当に後輩に恵まれたと思っています。今年は本当に多くの頼もしい1年生が入部してくれました。人数が少なかったこの部が、今年夏以降に力を伸ばせたのも、1年生が入ってきてくれたからです。来年以降、1年生のみんなが対抗戦で活躍しているのを見るのが楽しみです。個性派揃いの2年生。やかましくていつもふざけてそうだけど、一番周りやチームのことを考えている大輔。大輔といると疲れも笑いで吹き飛びました。ファンタジスタ藤井はなんだかんだ久我山好きで俺と久我山トークをしてくれる唯一の部員。また一緒に久我山行きましょう。藤澤は体が大変だったけど、部に残ってくれて本当に嬉しかった。来年以降、藤澤が試合で活躍していることが楽しみです。クラスターの時は真っ先に、「何か手伝えることはありますか?」とラインしてきてくれたじょう。何か問題が起きた時、常に俺のことを気遣ってくれたじょうの優しさに、この1年、本当に助けられました。本当にありがとう。小西も色々あり、肩も大変だったけど、対抗戦に来てくれて本当に嬉しかった。2年生は人数も少ないから、4年生になった時は大変だと思います。困った時はいつでも連絡して下さい。頼もしい3年生。村山・白石は本当に頼りになる後輩でした。チーム状況を鋭く判断し、しっかりと意見を言ってくれる二人は、チームに無くてはならない存在だったと思います。また、二人の作る笑いは、チームの雰囲気を形作る大切な要素でした。そして何より、バックスに白石がいることは本当に心強いことでした。じゅんはいつも冷静で、チームの状況や周りを常に考えられる、本当に大人な部員でした。共に過ごした2年間で、じゅんから多くのことを学ばせて貰いました。晴也はポジション柄、最も一緒に時間を過ごした後輩なのでは?と思っています。晴也のジンジャーは、ウィングとして本当に心強かったです。山本は色々大変だと思うけど、戻ってきてくれることを願っています。山本のスクラムを見るのが楽しみです。つよしは一番つきあいの長い後輩だね。小学校で一緒に野球をしていた時から、つよしの運動神経、センスの良さ、うまさをずっと感じていました。ラグビーでもその実力、呑み込みの早さ、努力を重ねる姿勢は変わらなかったね。怪我で大変だったと思うけど、勉強も頑張りながらリハビリを続けるつよしを本当に尊敬しています。つよしが試合で活躍していること、本当に楽しみにしています。木村も同じ初心者出身の後輩ですが、今ではチームに欠かすことの出来ない選手になりました。プレーだけでなく、その精神力の強さ、何でもこなしてしまう器の大きさは本当に底知れない木村の強さだと思います。来年、木村が主務をしてくれると聞きました。これからの主務は合宿などの通常の主務の仕事とコロナ対応を同時にこなさねばなりません。大変な一年になるでしょう。心が折れそうになることもあるかもしれません。木村は何でも自分で頑張ろうとすることが良いところですが、それ故に辛いこともあるかもしれません。そんな時は遠慮なく連絡して下さい。来年、木村はプレーヤーとして、主務として、チームに決して欠かすことの出来ない部員になっているでしょう。大変なこともたくさんあるだろうけど、頑張ってね。木村の活躍を本当に期待しています。そして同期。日高はグラウンド管理として、大きな役割を果たしてくれました。伊勢原事件は今となってはいい思い出だけど、クラスターの時に資料作成を手伝い続けてくれたのは日高でした。今年の運営は、日高と二人三脚でやってきた部分が多くありました。本当にありがとう。副務としての嶋井の仕事も本当に大変だったと思います。クラスターで部活が再開出来ない中、嶋井が再開後の数日で代理店との交渉をまとめてくれたからこそ、菅平遠征を実施することが出来ました。三商戦でも嶋井が動いてくれたからこそ、事前準備を無事終えられそうです。樋口の存在は本当にありがたかったです。内部の仕事を率先して樋口がやってくれた上、細かい日々の管理も常にやってくれたからこそ、円滑にチームを運営することが出来たと思います。樋口が部の運営を進める上で文句ひとつ言わず旗振り役をし続けてくれたことで、私は大きく助けられました。本当にありがとう。めいみちゃんは裏方の仕事をこなし続けてくれました。対抗戦の提出資料を円滑に準備できたのは、めいみちゃんのおかげです。そして何より幹部。なつきもかんちゃんも、怪我で苦しい日々が続く中、本当にチームの為に行動し続けてくれている姿を見続けていました。私がバックスなのでかんちゃんの話になりますが、メンバリング一つとっても、幹部ラインでOBの方やコーチからその意図を尋ねられた際、これほど深く考えていたのかと驚くほど、かんちゃんの返答には様々な意図・平素の思慮の深さが表れていました。副将二人の存在は大きく、重いものだったと思います。自分がプレー出来ない中、チームのことを考え続けることは、並大抵の覚悟では出来なかったことでしょう。怪我で苦しい中、チームを率い続けてくれて本当にありがとう。そして何より、耕成の指導力があったからこそ、私はここまでこられたと思っています。主務として仕事をし、試合や合同練習の打診を日々受ける中、常に意思決定を必要とする状況において、耕成の判断力・決断力の鋭さを実感し続けました。そうした強化方針に関わる部分だけでなく、チームのモチベーションマネジメントから雰囲気作りまで、チームを形作るあらゆる要素が島田耕成の指導力・統率力あってこそ実現したと思っています。

長くなってしまいましたが、最後に改めて感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。繰り返しにはなりますが、この一橋ラグビー部が活動を出来ているのは、本当に数多くのOB・OGの皆様にご支援頂いているからだと日々痛感しております。改めまして、近藤さんを始め、OB・OGの皆様に厚く御礼申し上げます。また、竹内さんには1年生の時から本当にお世話になりました。未経験の私が対抗戦に出られるようになったのも、竹内さんにウェイトを指導して頂き、体を強くできたからです。本当にありがとうございました。松岡さんは怪我でうるさい私を常に治療して下さるだけでなく、4年次には主務の仕事に追われる私の悩みも聞いて下さりました。心身共に異常を治癒し、ラグビーを続けられたのは、松岡さんの治療のおかげです。本当にありがとうございました。上田さん、永井さん、そして、望月さんや増田さん、吉田さん。皆様にラグビーをご指導頂いたからこそ、私はラグビーを上達させることが出来ました。初心者としてラグビーを始めた私が対抗戦に出場出来るようになったのは、コーチの皆様に丁寧にラグビーをご指導頂いたからです。また、少しずつでも上手になる実感を持てたことは、大きな自信になると共に、ラグビーを続ける上で大きな支えとなりました。本当にありがとうございました。そして最後に。私がこうして部活生活・大学生活を充実させることが出来たこと、そして、大学生活を悔いなくここまで満足に送れたことは、本当に幸せなことだと思っています。そしてそれらは、両親のサポートがあったからこそだと思っています。大学生活だけではありません。これまでの人生、野球から陸上、ラグビーまで、スポーツを、部活動を満足に続けることが出来たのは、両親の支えがあったからです。本当にありがとうございました。

長かった対抗戦もついに次が最後です。島田組として臨む最後の対抗戦。絶対にここで勝ち切り、勝ち越しでシーズンを終えましょう。

次はかんちゃんです。

昨年は試合に出られない弓場さんの想いを背負いたいと思い、弓場さんに貸して頂いた靴下を右足に履いて試合に出場していました。今年の右足はかんちゃんの靴下を履いていました。上智戦まで出場が叶いませんでしたが、最終戦で靴下を揃えられると信じています。副将二人の赤黒が最終戦に戻ってくること。最終戦を勝ち切り、勝ち越しでシーズンを終えること。そして、皆で悔い無くシーズンを終えられること。これが私の一橋ラグビー部部員としての最後の願いです。