戸田からバトンを受け取りました4年の名倉です。戸田は、どんなに雑で、かつ、どうでもいい話を振りかけても拾ってくれる優しい男です。その優しさを忘れないでいてほしいと切に願います。

彼には「早めに」「いい」文章というオーダーを頂きましたが、既に「早め」(6日後)という状況となり、このような随想文も久しぶりで「いい」ものが書けるかどうか。果たして期待に沿えられるのでしょうか。

さて、引退にあたり、僕からラグビー部へお気持ちを伝えたいと思います。4年生の引退前の部日記となると、対抗戦への意気込みや未来に向けた展望、お世話になった人への感謝の気持ちをテーマにするのが王道ですが、僕はあえて部への恨み節を綴っていきます。

まず1つ目は、練習時間。「3時間」という客観的な数字に対する主観的な評価は人それぞれですが、僕にとっては長かったです。金曜日の練習終了時間と土曜日の練習開始時間が近いのもいただけませんでした(最近変わりましたが)。

2つ目は、グラウンドの立地。駅から微妙に遠いです。

3つ目は、遅刻の罰金制度。別にその制度があること自体の是非は問いませんが、あるならあるでそれは事前に周知させるべきでしょう、と初めての遠征で乗り換えに失敗して遅刻した1年生の僕は強く思いました。

4つ目は、掃除場所。僕は「水周り」こと水道や排水溝周りの掃除の配属でしたが、なんどもドブに手をつっこまされ、泥と悪臭との戦いでした。本来、玄関掃除担当がすべき玄関のゴミ箱の交換が水回り担当だったことも謎でした。

5つ目は、後輩へ。僕は先輩になんどもご飯に連れていってもらったので、後輩に何かを奢ることは苦でもなんでもないし、むしろ自分が恩を受けた以上当然為すべきことだと思っていました。それなのに、それなのに、「名倉さんはまた何か奢って後輩を買収している」って。側から見たらそうとしか言えず、何も言い返せない、ロジハラです。

6つ目は、同期へ。最近は落ち着いていますが、1年生の頃は同期プレイヤーからの「イジリ」が酷く、いじめの範疇すら超えていましたね。僕がこれを原因に辞めていたら大問題だったと思います。また、マネージャーも、最後まで「さん」付け、どことなくよそよそしさが残っていました。その原因については、皆まで言わないでください。

7つ目は、司法試験の勉強との関係について。ラグビー部は、僕にひたすら茨の道を歩ませました。

僕は、入学当初から検察官になるという夢を抱いていました。現在の制度では、①大学卒業後、2年間または3年間の法科大学院を修了するか、②誰でも受験できるかわりに合格率約4%の司法試験予備試験に合格する、という2つのうちのいずれかの方法で受験資格を得なければ司法試験を受験することができません。父が割と高齢で、法科大学院の学費を親に出してもらうわけにはいかなかった僕は、②の道を選びました。司法試験といえば、途方もない勉強時間が必要というイメージがあり、僕はラグビー部に入部するかどうかをまず迷いましたが、「両立できる」という先輩たちの言葉を受けて、入部を決めました。しかし、入部後、なれない大学生活・部活・司法試験予備校の三重苦をうけた僕は、だんだんと毎日が楽しくなくなり、このまま部活を続けていても部活も勉強も共倒れになるのではないかという不安で一杯になっていました。そんな中、同じように予備試験合格を目指していると言っていた当時の4年生の先輩が、予備試験に残念ながら不合格となりました。そのことを恨んだり、その先輩を非難するつもりでは決してありません。しかし、その時の僕は、信じていた「部活と勉強の両立もできるよ」という言葉に裏切られた気分でした。

心がくっきりと折れた僕は、1年生の8月頃、退部を考えました。だんだんと同期の知るところとなり、同期たちに引き止められ、最後は当時のキャプテンたちに引き止められ、結局は退部には至りませんでした。なぜ辞めなかったのか。熱い説得に心動かされたのか、やっぱりラグビーが楽しかったのか、ただただやめる勇気がなかったのか、今となってはわかりません。ただ、その後、「あの時やめていれば..」みたいなことが頭をよぎることがあっても、「今から辞めよう」という気は一切起きませんでした。あの時が、「最後までラグビーを続ける、ラグビー部員であり続ける」道に進んだ、一種のターニングポイントだったのかもしれません。

ただ、その後何もかも楽になったわけではありません。大学3年の11月、幸運にも僕は予備試験に合格しました。しかし、試験直前期には休部していたため、足掛け1年以上、部を離れていたことになります。しかも、春シーズンという、練習試合の続く辛い期間、一人一人が成長できる期間に僕は全くプレーをしていなかったのです。また、練習に参加している時期であっても、勉強のことが頭を離れず、その上、フィットネスや技量も落ちていて、チームに追いつくのも大変で、どことなく練習が苦痛でした。

以上、7つほど恨み言を挙げました。挙げましたが、正直大したことではありません。グラウンドに湧く蚊やブヨの方がよっぽど恨めしいほどです。

なぜならば、仲間たちとの楽しい思い出に溢れているからです。

なんと月並みな、なんと面白みのない理由でしょうか。でも個人主義が叫ばれる今の時代、なかなか体験できない、貴重なものだと思います。

対抗戦勝利に向けて皆が努力し、敗北に泣き、勝利に笑う。試合中の好プレーに褒め称え、練習中の珍プレーに大爆笑する。挙げればきりのない思い出がたくさんあります。そして、試験を理由に練習を抜ける僕に対し、先輩・同期・後輩のみんなが快くそれを許し、励まし、戻ってきた僕を暖かく迎えてくれました。だからこそ、僕の中のラグビー部の思い出は、決して傍観者としての思い出ではなく、当事者としての思い出となっています。だから、ラグビー部には、仲間達には、本当に感謝しています。

最後に、もう一つ恨み言を。それは、ラグビー部の部員たる自分に対してです。僕は、4年生最後の対抗戦、メンバーに選ばれていません。それも実力不足を理由に。同期プレイヤーがそれぞれ身体を張ってチームを引っ張っていて、同期マネージャーが様々なサポートを行っている中、僕は、ベンチ外からただ応援するしかできない立場にいます。悔しいという気持ちよりも、もはや同期たちに並び立てていないと、試合を観て思っています。チームに大きな恩を受けた僕は、チームに何も返せていない。試験勉強を言い訳にしてきた僕と、辛い練習を乗り越えてきた同期たちとで、積み上げてきたものの違いが取り返しのつかない大きな差となっている。「お前は何をしてきた?」と思うと同時に、4年間でこの程度しか出来なかったのが自分という人間の限界、情けなさなのだろうとも思っています。この点に関していえば、正直言って悔いの残る引退にはなります。

それでも、僕を勧誘してくれた先輩たち、仲間でいてくれた同期たち、これからの後輩たちに一言二言残してこの文章を終わりたいと思います。

僕は「ラグビー部で自分がしてきたこと」には後悔があっても、「ラグビー部の部員だったこと」に後悔はありません。「ラグビーと法学の二足わらじ」「ラグビーと法学の二足の草履」という、めちゃくちゃな道に進んでも、どんなに辛いことがたくさんあっても、僕は最後に笑って終われるだろうし、この先も誰もが笑って終われるはずです。

何も教訓めいたことは残せず、長々としたお気持ち表明でしたが、以上になります。お付き合いありがとうございました。

次は、中学以来のメンブレ仲間、増谷に回したいと思います。