こんにちは、あきちゃんから紹介してもらいました、榊原寛太です。

紹介にもあったように、去年の5月に某アメフトの団体を辞め、その翌日に菊池組の主将に誘われてラグビー部の練習に参加しました。 気づけば今では、毎日国立のグラウンドを楽しく走っています🏉

真吾さん、あの時誘ってくださってありがとうございました😘

部日記の内容を何にしようか迷っているうちに、提出期限をかなり過ぎてしまいました。本当にすみません🙇‍♂️

何を書こうかな、と考えていたのですが、何も思いつかなかったので、自分の人生を少し振り返ってみようと思います。

まず、自分は生まれた頃からラグビー場に連れて行かれていました。

ラグビーをやっていた祖父と父は、どうやら何がなんでも自分をラグビー少年にしたかったらしいです。弟への教育は自分への反省を活かして、ラグビー人間にできたようです

家には、花園や秩父宮のグラウンドで撮られた、ちっちゃい頃の自分の写真が大量にあります

そして時は進み、3歳。 なんと、ラグビーデビューしました。

これが人生最初の分岐点。

世田谷ラグビースクールとの中学校までの12年間の付き合いの始まりです。

当時の自分はというと、朝早く起きて練習に行くのが嫌で、まだ寝ていたいと思って、家から全然出て行きませんでした

その結果、父親が自分を担いでグラウンドまで連れて行っていたそうです。

……今と変わっているんでしょうか

小学生の頃は、毎月、すごい時は毎週のように外部チームと練習試合をしていました。 特にワセダクラブは世田谷のライバルで、いろんな大会の優勝を二分していました。

あと、結構感動的なことに、この頃から、まさるさんや岩下さんとは、練馬や府中のスクールで何度も戦っていたそうです。今こうして同じチームでやっているの、めっちゃ不思議ですし、ラグビー界隈狭いなーって思いますね

あと、とにかくチームの人数が多かったです。 毎回の練習でチーム内の試合をしていて、ほぼ毎日試合状態でした。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、今思うと、とんでもなく恵まれた環境だったなと実感しています。

学校では、……と続けたいところですが、

なぜ二浪したのか、中学校以降どんな人生を送ってきたのかについては、引退の時まで取っておこうと思います。

まだまだ長くなりそうなので。

それでは次の部員の紹介!!!!!!!!!!!!!!

次は、同じ社学で、体重部内最下位を激しく争っている神原準くんです。 なぜか部活に入る前から、「ラグビー部といえば神原」みたいなイメージが自分の中にありました。 それくらい印象に残りやすい同期です。

あと、TWICEが好きなのも共通点です。 ウェイト中はTWICEが流れ、テンションがちょっと上がっています。