とみーからバトンを受け取りました、島田組BKリーダーの中尾貫太です。

とみーは今まで見たことない(恐らくこれからも見ないであろう)程ストイックでまっすぐな人間です。勉強や主務の仕事に限らず、常にストイックに自分に負荷をかけ続けていて本当にすごいです。部活が終わっても、大閲覧室にいけば彼に会えるような気がします。

文字通り24時間365日ラグビー部のために動き続けてくれて、本当にありがとう。

成城戦一緒に出られるのを楽しみにしています。

進学先について漠然と考え始めた高校2年の夏頃から、ずっと一橋ラグビー部の部日記が大好きでした。

ラグビーにここまでの熱量を持って向き合っいてる人達と一緒にプレーできる環境が物凄く魅力的に見えて、岩淵組と秋山組の4年生の部日記は一橋を志望する決定打にもなりました。

それだけ思い入れがあるだけに、今こうして自分が最後の部日記を書いているのが不思議な感じもします。そういえば初めて見た部日記では上杉さんが新入生として自己紹介してました。時間が経つのは早すぎますね

例に倣って、自分の4年間を振り返ってみます。

備忘録を兼ねて出来事を時系列順に挙げていくので、冗長な内容になります。

1年目

ラグビーやりたい欲と一橋ラグビー部への憧れだけで3月中頃には赤と黒のスパイクを買って入部してました。低かったであろう弱小高校出身の自分への期待値をとことん覆したくて、とにかく必死でした。

新入生試合後半のキックオフで肉離れしたり、familia常連になる片鱗は既に見せていましたが、当社比ではあるものの怪我少なく過ごせました。

そのお陰もありコンタクトの苦手意識も完全に克服し、毎日上達を実感出来て楽しかった記憶しかありません。何をしても尊敬する先輩が褒めてくれるし、熱量の高い沢山の同期と一緒に週5日も一緒にラグビーできる環境がとにかく幸せでした。

そして何より、対抗戦初戦で先発起用してもらい、入部前から憧れていたアカクロジャージを着られたことが本当に嬉しかったです。

プレータイムを貰いながらも堀内組の勝利に貢献できない不甲斐なさはあったものの、この1年は総じて「ラグビー楽しい!」で終わりました。

今振り返ると、本当に自分のことしか見えてなかったと思います。でも、楽しくプレイヤーとして一番成長できた1年でした。

2年目

数々の逸話を生んだ七尾の免許合宿から帰ると、東京ではコロナが流行し始めていました。

8月までの部活中断期間を終えようやく活動が再開した矢先、対抗戦開幕を1ヶ月後に控えた状況で右肩を脱臼しました。しかも検査を受けると、脱臼が癖になっていてオペが必要とのことでした。

当時ハーフは新井さんと私の2人だけだったのでシーズン終了までは保存でいくと決めました。しかし他の部員が厳しい練習に耐えてなおジャージを貰えていない状況で、ハーフが他にいないからという理由だけで練習もせずメンバー入りしているのが自分でも嫌でした。あれだけ憧れていたジャージの価値を自分が下げているようでした。ついには秦野での逆転負けの後に涙する先輩方を見て、シーズンを通して自己憐憫に浸るばかりで然るべき熱量で試合に臨めていなかったことに気付かされました。

1年目とは打って変わって、入部当初から本当にお世話になった佐々木組の先輩方に対して申し訳ない気持ちばかりが残る1年にしてしまいました。

3年目

冬オフ中に肩のオペを行い7月までしんどいリハビリ生活が続いたものの、春先に四年生に対して体制変更を迫り迷惑をかけた以上これ以上言い訳は出来ないと思い腹を括っていました。なんとか初戦にコンディショニングが間に合い、成城戦では下手なりにSOとして納得のいくパフォーマンスができました。試合開始直後のキックパスのビデオはベンチやサイドラインで喜ぶみんなの様子がよく見えるので、頻繁に見返して都度幸せな気持ちになってます。あの場面は一生忘れないと思います。

しかし後半、いきなり右足が動かなくなりました。後十字靭帯の損傷で、シーズンは絶望的になりました。昨シーズンに続き、長いリハビリをようやく終えた今シーズンも対抗戦に出場する機会を奪われたこと、何より迷惑をかけ続けてきた平本組の先輩の力になれないことがショックで、周りが対抗戦勝利に喜ぶなか逃げるように家に帰りました。

この時に弓場さんと篠田さんが、家にいた自分にわざわざ電話をかけて国立の王将に連れ出してくださったことに本当に感謝しています。お陰でなんとか気持ちを切り替えられました。

その後はなかなか勝てずに苦しいシーズンが続きました。そんな中で対抗戦後半からは同期のうち何人かが幹部会議に呼ばれるようになり、そこで四年生が対抗戦で勝つために本気で考え抜いている姿を初めて目の当たりにしました。それまでも四年生が部のために果たしている責任については理解しているつもりでしたが、実際には想像以上のものを背負っていました。そこで初めて、自分達が四年生の決断について変更を迫ったことが四年生にとってどれほど大きなことだったのか理解しました。正直に言うと、春の自分達の行動を後悔し本当に申し訳ない気持ちになりました。そして四年生に必要とされるならどんな状態であろうと試合に出て平本組の勝利に貢献しようと決めました。

結局最終節の上智戦で復帰したものの全くパフォーマンスが出ず、かえって足を引っ張る形になりました。負傷交代でグラウンドを出る時、不甲斐なさと四年生への申し訳なさで涙が止まりませんでした。

4年目

島田組になってから冬オフが明けるまでの期間は、今思うとかなり大変でした。入れ替え戦出場を掲げたものの何から手をつければいいのか全くわからない。とみーも「大海原に放り出された気分」と書いていましたね。

BKコーチを呼ぶために奔走したことから始まり、自分が高校生のころ憧れていた「強い一橋」を作り上げた岩淵組や秋山組をはじめとする先輩方に毎日のように強化スケジュールや練習内容について相談させてもらっていました。

気が遠くなるほどの試行錯誤を重ねてオフ明けになんとか島田組の船が形になったかと思えば、ファイアーDFはなかなか実戦で通用せず、負けが混んでいたところに国公立大会で東工大に負け、船は一度沈みかけました。自信を取り戻すためにBYB、千葉大と急遽試合を組みなんとかチームの雰囲気を立て直したものの、実際には慶應戦までは自分達の戦術に自信を持てずにいました。

そしてこの間、苦しいチーム状況に対してプレーで貢献できないことが本当に辛かった。

高校ラグビー部では同期が3人しかいないなかでも役職を持っていなかった、凄く控えめにいっても島田のような生粋のリーダーではない自分がプレーでもチームを引っ張れないとなると、自分がBKのリーダーである意味はあるのか。同期にBKリーダーを任された時点で、どんなに自分に自信が持てなくても、ハッタリでも最後までもらった役職をやり切ろうと決めていたものの、段々その自信が無くなっていました。

遂には対抗戦開幕4日前の練習で謎の腰痛を発症し、焦りか悔しさかわからない感情で完全に壊れてユニット練を放り出してしまいました。(嶋井がめちゃくちゃ慰めてくれました、本当にありがとう。)BKのみんなには本当に申し訳なく思っています。

その後も東大戦前に肉離れを受傷して、対抗戦にはまだ初戦の20分しか出られていません。情けないばかりです。16年間をラグビーに捧げてきて、副将を任せてもらった大事な最後のシーズンの多くをリハビリに費やしてしまった事実は今もなかなか受け入れがたいものです。

後悔や悔しさを挙げ始めるとキリがないのでこのへんにします。

個人的には悔しさが残るシーズンになったものの、それは今シーズンを振り返った時に感じる気持ちとはちょっと別物です。

今シーズンの対抗戦で、島田組は春とは見違えるくらい良いチームになりました。単に競技力が高いというわけではなく、チームとしての勝ち方を共有して、全員が自信を持って試合に臨めているという意味でです。

これは島田組発足直後から島田を筆頭に意識してきた、下級生を巻き込んだチーム運営という今年の一つのテーマが実を結んだ結果なのかなと思っています。

部員全員が、多少の程度の差はあれどこのチームに対して愛着と当事者意識を持って対抗戦の結果に一喜一憂してくれることが凄く嬉しいです。そして、自分がリーダーとして実際にどれだけのことをチームに還元できていたかはみんなの評価に委ねますが、この素晴らしい組織に携われたことはすごく誇りに思っています。島田組で16年続けたラグビーを終えられるのは本当に幸せだと感じます。

最後の1週間、自分のためにも、自分を支えてくれた人達に恩返しをするためにも、成城戦出場に向けてできることは全てやります。勝って最高のかたちで今年一年を終えたいです。

最後に、何にも変えがたい自分の一橋ラグビー部での4年間は、多くの人のお陰でなんとか成り立っていたものだと最近強く実感しています。

怪我ばかりで頼りない自分は、この1年間BKの下級生に本当に助けられました。

白石は頼りになりすぎる後輩で、戦術やユニット練習でもつい頼りすぎてしまいました。怪我が続くのは辛いけど、自分の体を大切にラスト一年走り切ってください。白石が率いるBKなら絶対強くなります。じゅんには対抗戦中だいぶ無理をさせてしまいました。後輩にしっかり目を配れるじゅんの存在はラグビー部にとってすごく貴重なものです。晴也は試合に出られない中でも自主練をし続けてベンチメンバーの手本を示してくれました。つよしは勉強を言い訳にせずストイックにリハビリを続け、気づいたらだいぶゴツくなっていました。2人とも来年アカクロを着て大活躍してくれるのを楽しみにしてます。

じょうには何度も励まされました。本当にありがとう。高いご飯をご馳走しないといけない気がしてます。藤井は実はラグビーに熱い選手だと思ってます。明日のB戦ではトライを量産してくれるはず。藤澤は自分と同じ境遇で高校ラグビーをしていたこともあって、活躍が特に楽しみな後輩のひとりです。苦しい時間が続くけどいつか戻ってきてくれるのを楽しみにしてます。マネージャーというかたちでも、小西はやっと戻ってきてくれて嬉しいです。来年のBKの雰囲気を明るくしてくれるはずです。

そうたにはラグビーエリートっぽいセンスを凄く感じます。勤勉に練習して、とてつもない選手になってくれると思ってます。まさるは今季1番のサプライズで、喩えじゃなく島田組を救ってくれました。80キロになったまさるの活躍が今から楽しみです。

どんなに辛いことがあっても辛うじてラグビー部を辞められずに続けられたのは、ラグビーに対して真面目でストイックな同期が常に近くにいたからです。BKリーダーなんて役職が自分に務まるとは思わなかったけど、引き受けようと決めたのはそんなみんなが自分を信じて任せるといってくれたからです。

特に4年生になってからは、幹部陣のメンバーと常にラグビー部の運営について話し合ってきました。いち部員として、彼等が膨大な時間と労力をラグビー部に割いてきてくれたことに本当に感謝しています。あと1ヶ月走り切ろう。

怪我が多く、個人的にマネージャーのみんなにはかなりお世話になりました。特に今年は人数も少ないなかで自分の時間を削ってラグビー部の運営の根幹を支えてくれました。来年以降もラグビー部をよろしくお願いします。

怪我ばかりで完全に問題児だった自分は、松岡さんに間違いなく1番お世話になった部員です。少し前にfamiliaで怪我の回数を数えたら、4年間で13回も違う種類の怪我で離脱していました。その度に励まし、時に厳しくリハビリを支えて頂きました。松岡さんなしではラグビーを続けられませんでした。本当にありがとうございました。

肩のオペをしていただいた田﨑先生にも本当に感謝しています。肩のことに限らず、常に私の活躍を気にかけてくださり、中高時代から本当にお世話になりました。

竹内さん、体作りの基礎はTFCで教わりました。入部直後の1年時に怪我なくラグビーが出来たのは、竹内メソッドのお陰だと思っています。ありがとうございます。

阿久津さん、国立住みになったのは3年からだったのにも関わらず頻繁にご飯に連れて行っていただき、ありがとうございました。あの時間はラグビー部員にとってかけがえのない時間でした。

望月さん、いつもお忙しいなか、ご厚意だけでとてつもない時間と労力をを島田組に注いでくださいました。本当にありがとうございます。学生主体の一橋ラグビー部にあって、決して押し付けることなくラグビー部を導いてくださったことには頭が上がりません。

増田さん、島田組の1番の功績は増田さんを一橋ラグビー部にお招きできたことかもしれません。まだまだ対抗戦でトライを取り切ったりは出来ていませんが、増田さんのお陰で着実に一橋のBKは強くなっています。来年以降もどうかよろしくお願いします。

近藤さんをはじめとするOBの先輩方からは、組織の運営方法や物事の進め方といったところからラグビーのテクニカルな部分まで、何から何までご指導いただきました。先輩方のご厚意なしではラグビー部の運営は成り立ちません。本当にありがとうございました。

特にお休みのところグラウンドに足を運んでいただき、人数が足りない時は試合にまで出てくださった若手OBの方々、本当にありがとうございます。来年以降も人数が少ない状態が続く一橋ラグビー部をよろしくお願いいたします。

そして何より、両親のサポートなしには16年もこんなに危険なスポーツを続けることはできませんでした。特に大学4年間は怪我ばかりで心配をかけ続けてきたうえに、一人暮らしや手術など二十歳を超えた息子の様々なわがままを許してくれました。感謝してもしきれません。

有観客になった来週の成城戦では絶対にプレーしているところを見せたいです。

長くなりましたが、私の部日記はこれで終わりです。

次は、FWリーダーのなつきに回します。

離脱中も力強くFWをリードし続け、皆から慕われている彼は本当に尊敬できる男です。

自分が怪我をした時も、なつきの姿を見て頑張らないとと思ってきました。そういう部員は僕だけじゃないはずです。

実は島田組では副将2人が一緒にグラウンドに立ったことがないです。最後の最後、成城戦で一緒に出られるのを楽しみにしています。